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海野雅威の気まますぎるdiary

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待っていなかった電話

夢を叶えるため、結果を出すための方法論や処世術があると信じて興味を持つ人や、それにまつわる苦労談を好む人は多い。そういう人には気になるらしく、時折どうやってロイのバンドに入ったのか、そしてロイの亡くなった今後はどうするのかと質問される事がある。

「計画通り、その実現のために」という生き方が不器用で出来ず、その時々の直感でマイペースに生きてきた自分は、当然ながらロイのバンドに入る事を夢として目標を立てたり、ロイに気に入られようと何かをした事など一度もなかった。それどころか正直ロイからの電話を待ってさえいなかった。ロイと共に参加したジミー・コブとのレコーディングの際、自分の演奏の何かが彼の琴線に触れたようで、レギュラーピアニストとしてバンドに迎えられる事になったが、最初はとても驚いた。才能溢れるピアニストが多い中でなぜ自分に白羽の矢が立ったのか、黒人が誇りとして憧れるジャズ界を代表する名門バンド初めての日本人メンバーとして迎えられた理由について知る由もなかった。現メンバーや歴代メンバーにも訊ねた事があるが、音楽に誰よりも厳しいロイは嫌ならばすぐにメンバーを交代するが、ツアーに呼ばれ続ける=信頼して必要とされている証だという事だった。メンバーとして必要な理由をロイは誰にも直接伝えた事はないらしい。

ところが、ある晩シカゴでの演奏後、ご機嫌だったロイが目を大きくして直接話してくれた生涯忘れられないであろう会話がある。ちょうどバンドに参加してから一年近く経った頃だった。

「お前の音、本物だ。日本で育ったとは信じられない音、ブルースを持っている。そうだなー、デトロイトかどこかで生まれ育った魂を持った音だ。音楽が心底好きな事が伝わってくる。毎回スポンティニアスで新鮮に演奏している。お前は世界中で演奏すべきだ。いつもバンドのサウンドをより良いものにしてくれるし、俺とスピリチュアル・コネクションで最高に繋がっている。それが一番大事なんだ。だから日本人だろうと何人だろうと人種は全く関係ない。お前が必要なんだ。いつもありがとな!」と。

お世辞など決して言わないロイだからこそ、ストレートにジーンと伝わってきた。
スピリチュアル・コネクション(精神的なつながり)がなければ何も意味がない、ともロイは言う。ただ音楽が好きで目標など持たずに子供の頃からずっと続けてきた事が、わかる人にはわかってもらえていると感じられた最高の夜だった。その幸福感は、たとえどんな名声や富を得ようとも味わえないだろう、心の深いところに響くものだった。

夢や目標を持つことは大切。でもそれを達成するための方法論や処世術を気にした途端、どうも本質から離れて行くように感じてしまう。この世界には目には見えない、自分の力ではどうにもならない、説明のつかないものが存在する。音楽というのはまさに言葉や理論では代わりに語れないもの。だからこそ大事な存在意義を持つと信じる。

ロイとの数々の思い出や教えがこれからも大きな指針となって、この先の想像もつかない新たなスピリチュアル・コネクションの旅へと、きっと自然と導いてくれるだろう。

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歴史になったロイ

ロイ・ハーグローヴが旅立ち2ヶ月近く。心に穴が空いてしまったかのような喪失感、本当に寂しい。世界を回るツアーとニューヨーク生活のリズム、またバンド内での自分の役割が自然に感じられ、本来なら今頃の年末は恒例のシカゴでのライブであった。音楽界全体にこれだけの影響を与えるミュージシャンは、当時をタイムリーで知る人にはクリフォード・ブラウン、リー・モーガンを失った時と同じような衝撃だという。盟友ラファロを失った後、数年間どうしても音楽をする気がなくなってしまったビル・エヴァンスの気持ち、今はよくわかる気がする。サッチモ、エリントン、コルトレーン、マイルスを失った後の歴史。それでも時は流れ続いていく。

ロイとの2年間は本当に濃密だった。次から次へと思い出がよみがえってくる。ラストになってしまった10月15日のパリ、老舗ニューモーニングでの白熱のライブ。その光景が鮮明に脳裏に焼き付いているためか、いまだに信じられない。最期までロイは彼自身の体調からは到底信じられない程の凄まじいエネルギーで、人々の心に確実に大切な魂を届けてくれた。普通の人間ならばあの体調で世界ツアーを回り続ける事など考えられない。尋常ではない精神力。待っている人がいる、自分の音楽を必要する人がいる限り、世界中を駆け巡り録音ではなくダイレクトにライブを届けるんだ、という使命感。一番近いところでその生き様、音楽、人生の深い意味を感じさせてくれた偉大なリーダー、RHQのメンバーとして最高のレッスンを受けさせてくれたロイに心から感謝。

ハンクが目の前で亡くなった時も同じように感じた。ロイも人間の世界にやってきてくれた音楽の世界からの使者であったと。それぐらい自己のエゴで音楽をしていない特別な存在だった。すでに49歳で歴史的なレジェンドであったが、本当に歴史の1ページ、伝説になってしまった。早すぎるよ、ロイ。もっと一緒に演奏したかった。

でも決して亡くなっても無くならない、人々の心に音楽を通じて永遠に生き続ける存在、音楽史に後世語り継がれる存在となった偉大なロイ。彼とのかけがえのない思い出を大切に、またロイの最後のピアニストとして、RH Familyの一員としてその名に恥じぬようこれからも続けていきたい。

RH Forever
ロイありがとう。安らかに。

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嘘の世界

「こんなにもこだわってやっています!」
というのは、自然に現れてくるものであって本来主張するものではない。
公言するのは、逆に出来ていない事の証明のようにも思えてしまう。

例えば、
「俺はスイングに命をかけています!」
と威勢のいい事を公言するミュージシャンがいたら、その人はスイング出来ていない可能性が高いかもしれない。
なぜならば、本当にスイングする人はそんな事を言うまでもなく(言う必要など全くなく)、ごく当たり前に自然にスイングしているはずだから。

「私はこんなにジャズを愛している!」
「練習をこんなにやっています、練習って楽しい!」
「とても工夫を凝らしてアレンジしています!」
「厳選に厳選を重ねて吟味しております!」
「無心で演奏する事を心がけています!」
「スタンダード演奏が一番大事です!」
「オリジナル曲を作って演奏する事にこそ意味があります!」

と、音楽に限らず日常的に見る、宣伝文句だったり、どれもこれも褒められたい事が窺える他人への自己アピール。
しかし、アピールして公言するほどにそれは逆に出来ていない証拠。その対象との間に決して縮まる事のない大きな距離を感じてしまう。まず言う事がはっきり言ってダサい。口より行動、説明より結果。静かにコツコツ、誰にアピールするでもなく、苦労、過程は見せないスマートさはどこへ行った。ツイッター、インスタ用の架空世界だけの自分、演じ演じられ騙し合い、嘘の世界に生きる虚しさ。





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幸せの価値観

何かしらの違和感を感じる言葉を耳にするとき、本末転倒によるところが多い。

先日も象徴的な出来事があった。とても熱心にライブに来てくれる、心底自分の音楽を好きでいてくれる方が、その熱い気持ちゆえにこう切り出した。「なんであなたではなくて〇〇氏が活躍し世間で評価されているのか納得がいかない。もっと自分で実力をアピールして有名になってほしい。」と怒り気味になぜか直接訴えてこられる。しかし、本人にそんな事を言われてもこちらも困ってしまうのである。なぜなら当たり前の話、有名になる為に音楽を演奏しているわけではないから。日々の活動を地道に積み重ねて自分に正直に進んでいく中で、「結果的に」世間に認められて日の目を見る事があるかもしれないし、ないかもしれない。この会話で何となく、「あなたは不幸ですね。」と言われているように少し感じてしまった。でも幸せの価値観って他人が勝手に決めるものではない。音楽がただ好きで始めたはずのミュージシャンが、有名になる事がその目的になってしまうとそれはまさに本末転倒になってしまう。自己アピールしてのし上るという考えも自分とはズレている。

以前から次のような価値観、行動に疑問を持っている。

*知名度至上主義、勝ち組、負け組というような貧相な発想。
*自己アピールに長け世渡り上手でいる事の推奨。特に自分よりも立場が上や、利になる人に媚びへつらう姿勢。
*プロとアマチュアの線引き。プロの方が上だというような価値観。
*地方より都市が優れているという発想。例えばアメリカでジャズならば、ニューヨークが最高で、地方は下と見るような価値観。

物事の幸せや、優劣の価値観がステレオタイプ化されると流されてしまう。それぞれの素晴らしさ、幸せがあるのに。

この点、僕は敬愛するDick Morganに学んだ事が多い。
ワールドクラスのピアニストがなぜ地元ワシントンDCやメリーランド州周辺のみに留まったのか。それは家族を大事にして、地元ファンに愛されていたから。その事はかつて彼が演奏した同じ場所で彼のバンドメンバーと演奏するという稀有な機会を通して身をもって肌で感じた。愛する家族、信頼するバンドメンバー、熱烈に愛された地元ファンのすぐ近くで演奏し続けた偉大なDick Morgan。こんな幸せな事があるだろうか。

ミュージシャンの知名度やビジネス成功への執着は、音楽を自分の功名心の道具として利用しているとも捉えられる。
音楽に対しそんな無礼であれば、その仕打ちは必ずやってくる。
それはその人からはピュアな音楽は決して生まれない事だと信じる。

例えば、見受けられるのはメッセージや感動の押し売り的な演奏。つまりお客さんを感動させる為に演奏しているミュージシャン。「えっ、全く問題ないじゃん、ミュージシャンの鏡では?」と思ってしまう人がいたら本当に危ない。
なぜならこれは音楽に集中していない上に、お客さんを下に見て上から目線で感動させてやると舐めているから。一部の聴衆は騙せても、その事に気がつく人も少なからずいる。これも本末転倒の一例。本来は一心不乱に心から演奏する中から聴衆が何かを自ずと感じ、感動が「聴衆の心から」自然と生まれるもの。それぞれが違う感じ方で受け取る。だからこそ立体的な深み、意味も増す。こういうように聴いて欲しいという一方向の決まったメッセージや、感動を与えたいなどというのは所詮演奏者のエゴ。だから、よく見せる、安っぽい感動を押し付けるような演奏は不自然な偽物で、押し付けがましい。個人的にはこういった演奏をしてしまうミュージシャンは、結局音楽が好きではなく、自分が好きなだけなのかと思えてしまう。

音楽だけでなく、世の中、目に見える作られた価値観や結果のみにとらわれすぎのように感じる。例えばグラミー賞を狙っていますと恥ずかしげもなく堂々と宣言してしまうミュージシャン、それを凄い頑張れと応援するようなファン。正直恥ずかしくなってしまう。本末転倒はいたるところに転がっている。

一見目に見えず、聞こえない、でも大切な物事の本質を大事にしていきたい。

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10周年!!!

今月6月19日は渡米してちょうど丸10年でした!!!
(当初は渡米生活は3年ぐらいになると思っていたような、、、)
まさにあっという間、光陰矢の如し。渡米した蒸し暑い快晴の日がつい昨日のことのよう。でも同時に10年ひと昔とも云います。それだけまた歳も取りました。日本で10年活動後に海を渡ったのでイーブン。まだまだの自分ですが、おかげさまでミュージシャン生活20周年目を迎える事ができました。何周年など普段は全く気にしませんが、右も左もわからず渡米した日を思い返しながら、一区切りとしてこの6月を過ごしていました。すると不思議な事に渡米直後に知り合った仲間でしばらくぶりのミュージシャンとの演奏の機会があったりと面白い縁、一回りしたループのようなものを感じます。

ところで最近はライブの記憶、仲間、まずはNYのミュージシャンの顔が思い起こされるようになっています。これは何ともいえない切なさも。お世話になった日本の仲間、先輩とご無沙汰しており、この10年ほぼ一緒に演奏できていないのは、日本で育てられた自分にはやはり寂しいものもあります。渡米したばかりの頃はもちろん頻繁に一時帰国することには意味を感じられなかったのですが、さてこれからはどうでしょう。日本でかつての旧交を温める機会、まだ出逢っていない若い才能に触発されるような演奏の機会なども実現できたらいいなー。

この10年で見え方、感じ方も以前とは変わり、しかし何も変わっていないと思うものも確かにあるように感じます。よくも悪くもとてものんびり屋の自分ですが、一歩ずつゆっくりと積み重ねた上で感じられるであろう次の新たな可能性にワクワク。これもいつも変わらず応援して頂いている方、渡米前から見守っていてくださる方、皆さんのおかげです。何事にも真剣、でも肩肘張らずリラックスしつつ楽しんで行けたら最高です。気ままにこれからもお付き合いの程宜しくお願いします。



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