
今回は書かずにはいられない特別なコンサートについて。
渡米以来、普段のニューヨーク生活というのは日本のように質の高い暮らしは到底望めず、正直非常に住みにくい街と言わざろう得ない。都会の刺激は短期で訪れる観光客にはよいのだろうが、そこに住むとなると息が詰まる時ももちろんある。でもそんな中でもびっくりするような宝物のような日が一年にほんの少しあったりする。先日まさにそういうご褒美のような嬉しい日が訪れた。場所は今回はニューヨークではなくメリーランド州での出来事。
もともと僕は、有名ミュージシャン=実力のあるミュージシャンという考え方が好きではない。知名度やファン数などでミュージシャンの価値を決めつける周り、その価値観に流される人に出くわすとウンザリしてしまう。自分の知らないだけで、名の知れず素晴らしいミュージシャンが各地に必ずいると信じている。プロとアマチュアという区別も好きになれない。レコーディングや何かしらのチャンスに恵まれなかっただけで、その実力は有名人を軽く越えてしまうような本物のミュージシャンもいる。
僕の敬愛するピアニストDick Morganはまさにそういう稀有な存在だ。自身の名を挙げる事には全く興味を持たず、ただ真摯に音楽を愛し、彼を慕う聴衆に長年地元のワシントンD.C.とメリーランドで50年以上に渡って愛され続けてきた。僕は日本にいる時に彼の名盤「See What I Mean」をたまたま店でみつけ、実はそのジャケの持つ雰囲気だけで購入したのだか、すっかり彼の演奏の虜になった。今にして思えば運命的な出会いだった。渡米以来、ワシントンD.C.エリアでのみしか演奏をしていない彼のライブを聴きに行く事が目標の一つになった。そして、2011年、彼の地元にある老舗クラブBlues Alleyでのライブを聴きに行く為にバスでニューヨークから向かった。言葉にならない程感激、興奮した。Dickはとても若々しく見え、81歳には到底思えなかった。お話する機会も得て、日本人のピアニストで彼のファンという事に逆に非常に喜んでもらい、持参した「At The Showboat」のレコードに心良くサインをしてくれた。
二回目もぜひと、2013年の12月に予定されていたライブをまた聴きに行く計画を立てていたのだが、惜しくも10月20日に84歳で天国に召されてしまった。ちょうどその頃は大変可愛がってもらったFrank Wessも旅立ってしまい、とてもショックだった。僕は幻になってしまった二回目のDickのライブに行けなかった代わりにぜひ彼のメモリアルに参加しようと決め、再び11月23日にワシントンD.C.行きの日帰りバスに乗った。教会の厳粛な雰囲気の中で行われたセレモニーの最後、彼のシグネチャーソングである「Bridge Over Troubled Water」に涙が止まらなかった。ワシントンD.C.の誇るジャズレジェンドの悲報にはオバマ大統領からも哀悼の手紙が届いていた。その後隣接する会場で行われたのは一転してハッピーなジャムセッションだった。そこではDickと30年来に渡って演奏活動を共にしてきたギターのSteve Abshire、ベースのDavid Jerniganらを中心にDickを慕うワシントンD.C.のレジェンドミュージシャンが集結していた。その際に僕がニューヨークから来たピアニストだと自己紹介すると、セッションに参加するようにDickのバンドメンバーが誘ってくれたが、ちょうど僕の時に時間の関係でそのセッションがお開きになった。僕は自分は弾きに来たわけではなくDickにお別れを言いたかっただけなので気にしないでと言ったが、ベースのDavidが気にしてくれたようで、ちょうど僕の帰りのバスまでの時間にColumbia Stationという店に連れて行ってくれた。Butch Warrenが生前よく演奏していた店だそうだ。そこでDavidと2曲だけセッションをし、連絡先を交換後ニューヨーク行きのバスの時間が迫っていた為、店を後にした。
後日、そのDavidからDick Morganのトリビュートコンサートでピアニストとして参加して欲しいとメールが届いた。正直驚いた。教会でのメモリアルの時に会ったDickと直接深い繋がりのあったたくさんのワシントンD.C.のピアニスト達がいる中でなぜ僕に?こんなに光栄な事は無いが、それにしても本当に僕でいいのだろうかと思った。後でわかったが、Davidは寡黙でその時に僕に直接伝えなかったが、実は2曲の演奏を非常に喜んでくれて、早速ギターのSteve Abshireに相談してぜひ僕をピアニストに迎えるべきだと推挙してくれたのだった。その心の広さに感謝の気持ちでいっぱいである。あのDickの愛した彼のバンドメンバーとの忘れられないコンサートは2014年1月10日にWestminster Churchで行われた。Dick本人のバンドで彼の形だけ真似た演奏など通用するわけないと感じ、自分を通して自然と表れるDickへの敬意が伝わればいいと無心で演奏した。聴衆が非常に温かく、演奏後は人生初の観客総立ちのスタンディングオベーション受けたが、Dickの奥様Sylviaも僕の音楽の中にDickの魂を感じて涙を流して喜んでくれた。夢のような一日だった。
さて、その第二弾のDick Morganのトリビュートコンサートが先週金曜の9月12日にメリーランドのMontpelier Cultual Arts Centerで行われた。ここはDickが生前度々演奏、レコーディングもしていた所で、彼はとりわけこの場所と集う人を愛していた。まさに彼の本拠地での演奏であった。
行ってみてまずその環境に驚いた。建物が広大な緑の中にあり、野生の鹿の親子も歩いている。屋内も天井が高く気持ちよい空気が流れていた。アーティストの個展も同時に行われていて、その空間は非常に落ち着いていて格好つけないこじんまりとした最高のアートギャラリーであった。
正真正銘のDickファンの前でDickの演奏してきたレパートリを中心に演奏したが、50年以上Dickを聴いて来たという老夫婦が大興奮して聴きながらダンスをして喜んでくれたり、また温かな歓迎を受けとても嬉しかった。演奏後にDickの奥様Sylviaが、「Dickの音楽の魂を受け継ぐのはあなただから」とDickの使っていたピアノを引き継いで欲しいというお話を頂いた。まさかそこまでそういう事を感じてくださっているとは思いもよらなかった。なんて光栄な事なのだろう!
何かをずっと好きでいることって素晴らしいと心から感じた。Dickの音楽が、僕をアメリカへ、メリーランドの彼の故郷へと導いてくれたにきっと違いない。偉大なDick Morgan、本当に心からありがとう!

渡米以来、普段のニューヨーク生活というのは日本のように質の高い暮らしは到底望めず、正直非常に住みにくい街と言わざろう得ない。都会の刺激は短期で訪れる観光客にはよいのだろうが、そこに住むとなると息が詰まる時ももちろんある。でもそんな中でもびっくりするような宝物のような日が一年にほんの少しあったりする。先日まさにそういうご褒美のような嬉しい日が訪れた。場所は今回はニューヨークではなくメリーランド州での出来事。
もともと僕は、有名ミュージシャン=実力のあるミュージシャンという考え方が好きではない。知名度やファン数などでミュージシャンの価値を決めつける周り、その価値観に流される人に出くわすとウンザリしてしまう。自分の知らないだけで、名の知れず素晴らしいミュージシャンが各地に必ずいると信じている。プロとアマチュアという区別も好きになれない。レコーディングや何かしらのチャンスに恵まれなかっただけで、その実力は有名人を軽く越えてしまうような本物のミュージシャンもいる。
僕の敬愛するピアニストDick Morganはまさにそういう稀有な存在だ。自身の名を挙げる事には全く興味を持たず、ただ真摯に音楽を愛し、彼を慕う聴衆に長年地元のワシントンD.C.とメリーランドで50年以上に渡って愛され続けてきた。僕は日本にいる時に彼の名盤「See What I Mean」をたまたま店でみつけ、実はそのジャケの持つ雰囲気だけで購入したのだか、すっかり彼の演奏の虜になった。今にして思えば運命的な出会いだった。渡米以来、ワシントンD.C.エリアでのみしか演奏をしていない彼のライブを聴きに行く事が目標の一つになった。そして、2011年、彼の地元にある老舗クラブBlues Alleyでのライブを聴きに行く為にバスでニューヨークから向かった。言葉にならない程感激、興奮した。Dickはとても若々しく見え、81歳には到底思えなかった。お話する機会も得て、日本人のピアニストで彼のファンという事に逆に非常に喜んでもらい、持参した「At The Showboat」のレコードに心良くサインをしてくれた。
二回目もぜひと、2013年の12月に予定されていたライブをまた聴きに行く計画を立てていたのだが、惜しくも10月20日に84歳で天国に召されてしまった。ちょうどその頃は大変可愛がってもらったFrank Wessも旅立ってしまい、とてもショックだった。僕は幻になってしまった二回目のDickのライブに行けなかった代わりにぜひ彼のメモリアルに参加しようと決め、再び11月23日にワシントンD.C.行きの日帰りバスに乗った。教会の厳粛な雰囲気の中で行われたセレモニーの最後、彼のシグネチャーソングである「Bridge Over Troubled Water」に涙が止まらなかった。ワシントンD.C.の誇るジャズレジェンドの悲報にはオバマ大統領からも哀悼の手紙が届いていた。その後隣接する会場で行われたのは一転してハッピーなジャムセッションだった。そこではDickと30年来に渡って演奏活動を共にしてきたギターのSteve Abshire、ベースのDavid Jerniganらを中心にDickを慕うワシントンD.C.のレジェンドミュージシャンが集結していた。その際に僕がニューヨークから来たピアニストだと自己紹介すると、セッションに参加するようにDickのバンドメンバーが誘ってくれたが、ちょうど僕の時に時間の関係でそのセッションがお開きになった。僕は自分は弾きに来たわけではなくDickにお別れを言いたかっただけなので気にしないでと言ったが、ベースのDavidが気にしてくれたようで、ちょうど僕の帰りのバスまでの時間にColumbia Stationという店に連れて行ってくれた。Butch Warrenが生前よく演奏していた店だそうだ。そこでDavidと2曲だけセッションをし、連絡先を交換後ニューヨーク行きのバスの時間が迫っていた為、店を後にした。
後日、そのDavidからDick Morganのトリビュートコンサートでピアニストとして参加して欲しいとメールが届いた。正直驚いた。教会でのメモリアルの時に会ったDickと直接深い繋がりのあったたくさんのワシントンD.C.のピアニスト達がいる中でなぜ僕に?こんなに光栄な事は無いが、それにしても本当に僕でいいのだろうかと思った。後でわかったが、Davidは寡黙でその時に僕に直接伝えなかったが、実は2曲の演奏を非常に喜んでくれて、早速ギターのSteve Abshireに相談してぜひ僕をピアニストに迎えるべきだと推挙してくれたのだった。その心の広さに感謝の気持ちでいっぱいである。あのDickの愛した彼のバンドメンバーとの忘れられないコンサートは2014年1月10日にWestminster Churchで行われた。Dick本人のバンドで彼の形だけ真似た演奏など通用するわけないと感じ、自分を通して自然と表れるDickへの敬意が伝わればいいと無心で演奏した。聴衆が非常に温かく、演奏後は人生初の観客総立ちのスタンディングオベーション受けたが、Dickの奥様Sylviaも僕の音楽の中にDickの魂を感じて涙を流して喜んでくれた。夢のような一日だった。
さて、その第二弾のDick Morganのトリビュートコンサートが先週金曜の9月12日にメリーランドのMontpelier Cultual Arts Centerで行われた。ここはDickが生前度々演奏、レコーディングもしていた所で、彼はとりわけこの場所と集う人を愛していた。まさに彼の本拠地での演奏であった。
行ってみてまずその環境に驚いた。建物が広大な緑の中にあり、野生の鹿の親子も歩いている。屋内も天井が高く気持ちよい空気が流れていた。アーティストの個展も同時に行われていて、その空間は非常に落ち着いていて格好つけないこじんまりとした最高のアートギャラリーであった。
正真正銘のDickファンの前でDickの演奏してきたレパートリを中心に演奏したが、50年以上Dickを聴いて来たという老夫婦が大興奮して聴きながらダンスをして喜んでくれたり、また温かな歓迎を受けとても嬉しかった。演奏後にDickの奥様Sylviaが、「Dickの音楽の魂を受け継ぐのはあなただから」とDickの使っていたピアノを引き継いで欲しいというお話を頂いた。まさかそこまでそういう事を感じてくださっているとは思いもよらなかった。なんて光栄な事なのだろう!
何かをずっと好きでいることって素晴らしいと心から感じた。Dickの音楽が、僕をアメリカへ、メリーランドの彼の故郷へと導いてくれたにきっと違いない。偉大なDick Morgan、本当に心からありがとう!



