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海野雅威の気まますぎるdiary

幸せの価値観

何かしらの違和感を感じる言葉を耳にするとき、本末転倒によるところが多い。

先日も象徴的な出来事があった。とても熱心にライブに来てくれる、心底自分の音楽を好きでいてくれる方が、その熱い気持ちゆえにこう切り出した。「なんであなたではなくて〇〇氏が活躍し世間で評価されているのか納得がいかない。もっと自分で実力をアピールして有名になってほしい。」と怒り気味になぜか直接訴えてこられる。しかし、本人にそんな事を言われてもこちらも困ってしまうのである。なぜなら当たり前の話、有名になる為に音楽を演奏しているわけではないから。日々の活動を地道に積み重ねて自分に正直に進んでいく中で、「結果的に」世間に認められて日の目を見る事があるかもしれないし、ないかもしれない。この会話で何となく、「あなたは不幸ですね。」と言われているように少し感じてしまった。でも幸せの価値観って他人が勝手に決めるものではない。音楽がただ好きで始めたはずのミュージシャンが、有名になる事がその目的になってしまうとそれはまさに本末転倒になってしまう。自己アピールしてのし上るという考えも自分とはズレている。

以前から次のような価値観、行動に疑問を持っている。

*知名度至上主義、勝ち組、負け組というような貧相な発想。
*自己アピールに長け世渡り上手でいる事の推奨。特に自分よりも立場が上や、利になる人に媚びへつらう姿勢。
*プロとアマチュアの線引き。プロの方が上だというような価値観。
*地方より都市が優れているという発想。例えばアメリカでジャズならば、ニューヨークが最高で、地方は下と見るような価値観。

物事の幸せや、優劣の価値観がステレオタイプ化されると流されてしまう。それぞれの素晴らしさ、幸せがあるのに。

この点、僕は敬愛するDick Morganに学んだ事が多い。
ワールドクラスのピアニストがなぜ地元ワシントンDCやメリーランド州周辺のみに留まったのか。それは家族を大事にして、地元ファンに愛されていたから。その事はかつて彼が演奏した同じ場所で彼のバンドメンバーと演奏するという稀有な機会を通して身をもって肌で感じた。愛する家族、信頼するバンドメンバー、熱烈に愛された地元ファンのすぐ近くで演奏し続けた偉大なDick Morgan。こんな幸せな事があるだろうか。

ミュージシャンの知名度やビジネス成功への執着は、音楽を自分の功名心の道具として利用しているとも捉えられる。
音楽に対しそんな無礼であれば、その仕打ちは必ずやってくる。
それはその人からはピュアな音楽は決して生まれない事だと信じる。

例えば、見受けられるのはメッセージや感動の押し売り的な演奏。つまりお客さんを感動させる為に演奏しているミュージシャン。「えっ、全く問題ないじゃん、ミュージシャンの鏡では?」と思ってしまう人がいたら本当に危ない。
なぜならこれは音楽に集中していない上に、お客さんを下に見て上から目線で感動させてやると舐めているから。一部の聴衆は騙せても、その事に気がつく人も少なからずいる。これも本末転倒の一例。本来は一心不乱に心から演奏する中から聴衆が何かを自ずと感じ、感動が「聴衆の心から」自然と生まれるもの。それぞれが違う感じ方で受け取る。だからこそ立体的な深み、意味も増す。こういうように聴いて欲しいという一方向の決まったメッセージや、感動を与えたいなどというのは所詮演奏者のエゴ。だから、よく見せる、安っぽい感動を押し付けるような演奏は不自然な偽物で、押し付けがましい。個人的にはこういった演奏をしてしまうミュージシャンは、結局音楽が好きではなく、自分が好きなだけなのかと思えてしまう。

音楽だけでなく、世の中、目に見える作られた価値観や結果のみにとらわれすぎのように感じる。例えばグラミー賞を狙っていますと恥ずかしげもなく堂々と宣言してしまうミュージシャン、それを凄い頑張れと応援するようなファン。正直恥ずかしくなってしまう。本末転倒はいたるところに転がっている。

一見目に見えず、聞こえない、でも大切な物事の本質を大事にしていきたい。

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