海野雅威の気まますぎるdiary

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動きと存在の美学

ダンスをしているお友達の奨めで、タップのライブを見にJoyce Theaterへ行って来ました。

世の中「天才」と言われている人は、そうそういるものではないと思いますが、今日のSavion Gloverはどうでしょう!スカッと爽快、鳥肌に涙!脱帽です。

体がとにかくしなやかで、無駄な動きが全く無く、(ものすごい速さでタップをしてるのに、逆に止まって見える事も!)、うまく表現できないのですが、上半身は酔っ払い?のようにくにゃくにゃに見えます。これは完全に脱力しているからでしょう。そして何といっても音楽的!時折り、手でシンバルのレガートの仕草をしながらタップをする事からもわかるのですが、ドラマーの意識を持ってやっているようです。

ところで、大変恐縮にも実は僕もSavionと一度だけ共演した事があるんです。2003年3月11日、初めて南青山Body&Soulで、初対面のチンさんと演奏した時に彼がたまたま"Bringin' da NOISE, Bringin' da FUNK" で来日中で、そのショーの後に遊びに来てくれて一緒に演奏しました。彼は疲れ知らずといった感じで、エネルギー溢れるタップを全身から魂で表現していました。その時も鳥肌が立ちました。そうそう、タップの後に1.5ℓのペットボトルの水を一気に飲み干していた事にも驚かされました。その日はいろいろ初めて尽くしで、緊張・興奮したのをよく覚えてます。

6年振りに見た彼は、益々自由に悠々と、そして楽しそうに見えました。



何だかすごい人程、動きに無駄が無く自然ですよね。スポーツ選手はもちろんそうでしょう。時に自然すぎるからゆっくりに見えたり、止まって見える。

逆に未熟な人ほど「何かしてまーす」という動きになりがちな様に思います。例えばピア二ストだったら「感情込めて弾いてまーす」または「楽しく弾いてまーす」という感じが音ではなく必要以上に動きで見える。そういった不自然な場合、その弾き手は、周りを気にし過ぎて実は音楽に集中出来ていないのかもしれません。



とても難しい事ですが、「何かを伝える」という時に「伝えようとする意思」を持つのは大切に思うのですが、でも、本来は「伝える」のではなくて、それは「存在する結果」として、自然に「伝わる」のだと思います。その時に人が心から感動するのだと。つまり無我の境地や無心、無為自然というのでしょうか。



例えば、子供にしか描けないのびのびとした絵に強い力を感じたとする。それは子供がうまく描こうと何かを手本にしたりしているのではなくて、感じたまま無邪気に描くからでしょう。

また、自然界に存在する星、山や花などを見て感動したとすると、きっとそれはただそこに存在しているからで、それらが人間に綺麗だと思われる為に意思を持って存在していたら、それほど感動できやしないのではないか。ちょっと話が大きくなり過ぎました・・・。



Hankのピアノは、ピアノを弾こうというより、ただそこに存在している感じですし(こう弾いてやろう!という意識ではなく、純粋な自己主張)、Savionのタップにも、どう見られるかを超えて、ただ楽しいからタップをしているという原点、熱い本能を感じました。

そして、だからこそ動きも美しい。素晴らしい一夜でした。







ベーシストは、よく月曜日にLenox Loungeで演奏してるAndy McCloud。

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